感動の景色に出会えた広島を後にし、さらに北上し京都にやってまいりました。
残念ながら、京都で義母が疲れからか体調を崩しホテルで休んでいることになったので、観光は義父、夫、私の三人でした。
この旅行を計画した頃は、ちょうど紅葉のきれいな景色を見せてあげられるかなあ、と思っていたのですが、今年の紅葉は遅め、という話を聞き、ガックシ・・・
でも、京都は少し紅葉が始まっており、繊細な色の移ろいがとてもきれいでそれはそれで喜んでもらえたようです。

イタリアにもかえではあるのですが種類が異なり、葉の大きさが一般的にもっと大きいので、日本のもみじの方が繊細で美しく見えます。

清水寺は相変わらずすごい人!

お寺の下の庭園を歩いていると、木々一つ一つの前に木の棒が建てられており、そこにその木を植えた方の名前が書かれていたのですが、その様子や数の多さに夫も義父も驚いていました。

金閣寺。

この、水面に反射する世界と本当の世界のコントラスト、いつ見ても好きです。

お庭でほっこりお抹茶とお菓子をいただきました。
そして、義父のお気に入りとなったのが銀閣寺。

金閣寺とは全く対照的で、その簡素で気品溢れると雰囲気が私も他のお寺に比べてすきなのですが、義父もここは特に気に入っており、瞑想にとてもよさそう、と言っていました。

砂が織り成す庭、とてもきれいですね。

今回夫と義父母と日本にきて、私も改めて強く感じたことがあります。

日本人が自然を愛する心、日本人が自然と一体となって生活していることを、今回の旅で改めて感じました。
日本に住んでいた頃は普通 だったけれど、日本人って自然の中に溶け込んで生きていて、だからこそ木々や花々がとても生き生きしている気がするのです。
イタリアはというと、自然はきれいだし、みんな良い景色を見に行くのだって大好きです。
でも、やっぱり日本人のように、自然と調和 して生きているか、というとやっぱり少し違うな、と思うのです。
こちらに来て年月が経てば経つほど、特に秋・春は日本に想いをはせること が多く、春は桜、秋は紅葉が見たくなります。
自然災害が多い日本では、昔から自然の神を崇め自然災害も受け入れ共存してきたからなのか、人が自然と共に生きている、という感覚がとても大きいのかもしれません。
今回、イタリア人と一緒に歩いて違った視線で見ることで改めて気づけた嬉しい視点でした。

彼ら親子も、歩きながら立ち止まってはそういったことばかりを話していました。
そして、京都の後は最後の町、東京です。
今回の旅はとにかくフラフラと色々な町を周っていたので、ほとんど友達には会えなかったのですが、可能な場所でのみほんの少しの時間だけでも友達に会うことができました。
そのうち、東京で会った友達の中に、結婚式を一週間後に控えた子がいたのですが、本当に幸せに満ち溢れていてキラキラとした雰囲気が漂っていました。
ほんの少しの時間でもこうやって友達に会えると、無意識のうちにイタリアで歯を食いしばっている部分があるのか、心の糸がゆるゆるっと解けていくのを感じます。
そんな存在があることに心から感謝です。
そして、今回の帰国でとても感動したことがあります。
実家滞在最後の日、私の両親と義父母のお別れのときに、ふと父が義父母に向かって何かを言ったのです。
へ??!?
みんな一瞬目が点。。
あれ? 今のってイタリア語じゃなかった?
う~ん、でもまさか。。
なんて思っているとまた同じことを繰り返す父。
イタリア語だ!
いくつかの言葉がはっきり分からなかったのですが、少しの私の通訳と共に義父母に父の気持ちは伝わりました。
私も分からなかった部分を、あれ、なんて言ったの?? と後で聞いてみたら、
figlia (フィッリア) を ’ フリージャ ’ と間違えて言っていたそう(笑)
そして最後も、Ci vediamo~! (また会いましょ~!)と言っていました。
全く私にはそんなことは言っていなかったのですが、母によると、毎日車の中ではイタリア語のCDを聞いたそうな。
父が言っていた文、結構長かったな。
きっと、口に出して、何度も練習したんだろうな。
そんなことを思うと、胸に熱いものがこみ上げてきました。
通訳を通してではなく、自分のイタリア語で伝えようとしてくれた、その気持ちがとても嬉しかったです。
今回の旅、実際疲れた時も多々あったけれど、家族同士の時間を沢山持てたこと、そして、遠いところから私の生まれ育った国を見にきてくれた義父母に、心から感謝しています。
ちなみに義母は、日本食のヘルシーさに感動し、これはやっぱりイタリアに帰ったら再度、マクロビオティックを再開すべきだわ!(大分昔、4年ほどマクロビオティックを実践し、美味しくない!と家族に大反対されて泣く泣くやめた経験あり)と張り切っていました。
義父と夫は苦笑いをしていましたが・・・(笑)