Beppe Fenoglio (ベッペ・フェノッリオ)のLa Malora (破綻)。



第一次大戦が終わった頃からイタリアでは、現実をそのまま映し出すレアリズムの動きが始まり、その動きは戦後、ファシズム政権による文学の制限が解かれ、戦争の間に起こったこと、貧しい農村の生活、パルチザンの経験をそのまま描写するネオ・レアリズムが台頭します。
しかし、この時期出版される本はネオ・レアリズムが求める要素で構成されていることが求められます
。
そんな中、ベッペ・フェノッリオはLa Maloraを、当時勢力を増していた出版社Einaudiに送り、1954年に出版されることとなります。
ちなみにこの本は教科書などではネオ・レアリズムの中に入れられていますが、実際は、設定された時代が著者が生きた時代よりも50年ほど前であり著者が証人となりえないこと、作品は人生の断面を描いたに過ぎずネオ・レアリズムが求める、全てを忠実に再現する、という要素にかけているという理由を元に、当時出版社Einaudiの責任者であったイタロ・カルヴィーノ、エリオ・ヴィットリーニに、同作はネオ・レアリズムに入らず、自然主義の域にとどまる、と一決されている。
ランゲの丘の中でも特に貧しい地域の農家に生まれた少年、アゴスティーノが自身の三年間の奉公の経験を綴るのですが、その中には家族の絆の強さ、もろさ、権力社会への批判、空腹・・・ など、彼がその間に見たこと、感じたことが語られます。
しかし、この貧しい生活、父の死、弟の死の切迫、17歳で奉公に出ざるをえないという絶望的とも言える状況の中で、彼は諦め、人生が彼に差し出すものを全て受け入れることを学ぶ。
その諦めは決して弱い人間の諦めではなく、全てを悟った人間の諦め。
この作品を読むと、当時のランゲの丘の人たちの生活をまるで自分の目で見たかのような錯覚に陥ります。 貧しい農村の生活を背景にしながらも、主人公の前向きな人柄が作品に光を当ててくれます。
探してみたのですが、残念ながら恐らく日本語訳は今のところなさそうで、ネット上で翻訳をされている方はいらっしゃるようです。
ちょっとした文学メモでした。

2 件のコメント:
すごいねぇ~文学を味わってるね。
最初、夕飯のあと読んだけど頭に入らなくて、
お風呂入って、ゆっくり読み直したら理解できた!
塩野さんがゆう文学的な会話のできる女性、
まさにそれにふさわしいものにhittoは触れて学んでるんだね。
私もhittoの文学ノートから、
少しその要素をおこぼれでもらって味わえたよ♪
また楽しみにしてるね。
>かずみ
う~ん、でも、イタリア語で読んで頭に入っても心に入れるまではやっぱり何度か読んだりしないとなかなかで・・・
今は大学のことで古典や少し前の時代のものばかり読んでいるけど、現代物は全然知らないの。。
イタリアの文学は学んでいてすごく楽しいと思えるけど、和書はやっぱりさらっと読めてすぐに集中できるから嬉しい♪
頂いた’告白’も、フランチェスコにちょっとづつ小出しに説明してあげたよ。(もったいぶりながら)
日本の最近の本にも全く疎いので帰る度に買ってかなキャ~、と思いつつ、結局最後に荷物が重くなりすぎて諦めることの繰り返しだよ(笑)
また、かずみも旅のお供でよかった本、教えてね。
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